五海ゆうじ写真通信69

「吉沢元治とブッチ・モリス」

間章に連なる、あるいは繋がる、と言ってもよいかもしれませんが、
音楽家あるいは音楽についてもう少し書いていきます。

どうしても書かなければいけない音楽家がいるんですね、
吉沢元治、
今、埋もれつつある音楽家と言ってよいかもしれません。
70年前後、日本のジャズ界においても様々な事が起きていたんですね。
そして、その中で、それぞれが、それぞれに感じた事、考えた事を胸に秘め、
進み始めた。
吉沢さんはベースを手に持ちソロ活動を始めた。
そして、私は、そんな吉沢さんを撮り始めた。
そして、私は、吉沢さんを通して、間を含めた様々な音楽家達と親交を結ぶようになった。
私は吉沢さんのコンサート会場に入り浸り写真を撮り続けた。
演奏はほとんどがベースソロで、観客は、何時も数人だったが、
そんな会場に間はよく顔を出していた。
やがて間とは同世代ということもあり親しくなっていった。。。
1975年、間のプロデュースで、吉沢さんは2枚目のベースソロアルバム
「割れた鏡または化石の鳥」を出す。
(このアルバムは、この後、トリオの稲岡さんプロデュースで新しく録音され
「OUTFIT」としてリリースされた)
間は、この後、コンサートの企画、執筆、等、精力的に活動を展開し
1978年のデレクベィリー招聘へと突き進んでいく。
そして吉沢さんも、そんな間のやる事に参加していた。
間が人生最後の方で書いていた、断片の集積といってもよい文章について、
吉沢さんと話したものだ、
「ここのところの間の文章冴えているよな」

1978年12月12日、間の死。
告別式、出棺の時、
吉沢さんは棺に取りすがり号泣していた。

そして、この後、吉沢さんはソロ活動をしながら、
1993年、ブッチモリスのコンダクションへと突き進んでいく。

私にとって、間章の死は、阿部薫の死に否応なく繋がっていく。
そのあたりの事は阿部薫写真集に書いているんで、省きますが。。。
そうですね、その当時の私の状況を含め、あまりにも辛すぎた、という事もあったかもしれない、
区切りをつける意味もあり、
1980年、10年にわたり撮り続けた吉沢さんの写真をまとめ、
銀座ニコンサロンで写真展「即興7・0・8・0」を開催し、
一旦は音楽の世界から身を引く事にしたんですね。
そして10年後、
1991年、吉沢さんは3枚目のベースソロアルバム
「From The Faraway Nearby」出すんですね。
それをきっかけに、私は、再び音楽の世界に入る事になる、というかなってしまった。
そして1993年、吉沢さんはブッチ・モリスを招聘し、
日本で初のコンダクションを四谷のP3で開催した。
そしてそれを末端ではありますが手伝う事になった。
会場は超がつくほど満員で、
日本の即興音楽家を集めたコンダクションは、
未知の音楽との遭遇といおうか、とてつもなくおもしろかった。

写真はロンドン2景
london02.jpg

london01.jpg

2014/6/2


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プロフィール

iikonodon

Author:iikonodon
広告写真を撮りながら、花と植物、街と人、の写真を撮る作業を続けています。
2011年より電子書籍の出版を開始しました。

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