五海ゆうじ写真通信101

「出合いと消失」
話は写真学校時代に戻ります。
あれやこれやとありながら写真学校に入る事は入った。
しかしですね留年しながらもなんとか持ちこたえようとやっていたんですが、
いかせん学校の課題提出と授業料を払うことが両立しない。
授業料を払うために働いていたら
学校から出る膨大な課題を消化することができない。
課題を消化するためには今勤めている所ではとても無理だ。
まぁ、そんなこんなで、日雇いの仕事をしながらやれば、
休むのも自由だしなんとかなるんじゃないかと、
会社を辞める事にしたんですね、
しかしです、住み込みで働いていたので自分で部屋を借りるしかない、
つまりです部屋代が派生してくる。
今度は部屋代を払うために四苦八苦するはめになり、
結局は部屋を追い出され学校で知り合った友人の部屋に転がり込んだ。
そんな事をしながらも学校だけは行き続けた。
それを支えたの学校の授業ではなく、
学校で知り合った友人達だったんですね。
田舎出の私としては、学校で知り合う友人の一人一人が驚きであり、
彼等と話す事が、もう何とも言えず面白かった。
写真について夜を徹して話し合う、議論が高じて喧嘩もする。
そんな生活の中で、何人かの友達と言える人もできた。
時は1969年、世が騒乱状態になる頃なんですね、
私は夜間部の自治会に参加していて、
政治の季節と言われるその時代に突入していった。
学校はご多聞にもれずバリケード封鎖になった。
授業料を払うため、食っていくため、懸命に格闘していた私としては、
どっちかというと、そんな彼等の闘争を批判的にちょっと斜めにみていた。
しかしです、そんな闘争のなかで忘れられない
何人かの友達ができていったんですね。
その中の一人ですが、バリケード闘争を引っ張っていた男がいた。
名前を望月広という、
言う事やる事がかなりといおうか全くといおうか無茶苦茶で、
それでいて回りからは、
あーだこーだと言われながらも何故か憎めなく好かれていた。

彼は6年前に死んだ。

写真は「人の中へ」2景
京都9条
_008京都

高知播磨や橋付近
_005高知2


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プロフィール

iikonodon

Author:iikonodon
広告写真を撮りながら、花と植物、街と人、の写真を撮る作業を続けています。
2011年より電子書籍の出版を開始しました。

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