五海ゆうじ写真通信102

「ガラクタと宝物」
前回に続き変な男望月広の話であります。
どれだけ変な男かというとですね、
ある日忘年会の席だったと思うんですが、
突然に「ホームレスの世界大会を開こうと考えてんだが。。。」
というような事を言い始める。
そして回りから総スカンをくったりするんですね。
東京ユニオンで無組織労働者のための
活動をしていることは知っていてもですよ。。。
「おまえなぁーーーーいくらなんでもそれは。。。。」
まぁ、そんな感じではありました。
彼はどういう訳かガラクタカメラが好きで、
どこで探して来るか、使い物にならなくなったカメラを
私の所に持って来て置いていくんですね、
それが何台か私の手許に残っている。
そんなやつがくたばってしまった。
通夜の席にはホームレスと思しき人達が来て
手を合わせて帰っていった。
葬儀の弔辞は写真学校時代からの仲間、
映画監督の崔洋一が受け持った。
当然と言えば当然だが彼は
「安らかに眠れ」などということは言わなかった。
その言葉はひょっとしたら私達の仲間、
仲間といっても写真学校時代の仲間ということではなく、
あの時代を生きた若者、つまり私達を含めたという意味でもありますが、
決して闘う仲間などということは言いません決して。。。
にしか解らない言葉だったかもしれない。
しかしどうしようもなく込み上げるものがあった。

そして彼の骨は家族の手によって沖縄の海に撒かれた。
そしてこれも当然ですが彼の墓はないんですね。

写真はがらくたカメラ
14がらくたカメラ

2016/7/9


五海ゆうじ写真通信101

「出合いと消失」
話は写真学校時代に戻ります。
あれやこれやとありながら写真学校に入る事は入った。
しかしですね留年しながらもなんとか持ちこたえようとやっていたんですが、
いかせん学校の課題提出と授業料を払うことが両立しない。
授業料を払うために働いていたら
学校から出る膨大な課題を消化することができない。
課題を消化するためには今勤めている所ではとても無理だ。
まぁ、そんなこんなで、日雇いの仕事をしながらやれば、
休むのも自由だしなんとかなるんじゃないかと、
会社を辞める事にしたんですね、
しかしです、住み込みで働いていたので自分で部屋を借りるしかない、
つまりです部屋代が派生してくる。
今度は部屋代を払うために四苦八苦するはめになり、
結局は部屋を追い出され学校で知り合った友人の部屋に転がり込んだ。
そんな事をしながらも学校だけは行き続けた。
それを支えたの学校の授業ではなく、
学校で知り合った友人達だったんですね。
田舎出の私としては、学校で知り合う友人の一人一人が驚きであり、
彼等と話す事が、もう何とも言えず面白かった。
写真について夜を徹して話し合う、議論が高じて喧嘩もする。
そんな生活の中で、何人かの友達と言える人もできた。
時は1969年、世が騒乱状態になる頃なんですね、
私は夜間部の自治会に参加していて、
政治の季節と言われるその時代に突入していった。
学校はご多聞にもれずバリケード封鎖になった。
授業料を払うため、食っていくため、懸命に格闘していた私としては、
どっちかというと、そんな彼等の闘争を批判的にちょっと斜めにみていた。
しかしです、そんな闘争のなかで忘れられない
何人かの友達ができていったんですね。
その中の一人ですが、バリケード闘争を引っ張っていた男がいた。
名前を望月広という、
言う事やる事がかなりといおうか全くといおうか無茶苦茶で、
それでいて回りからは、
あーだこーだと言われながらも何故か憎めなく好かれていた。

彼は6年前に死んだ。

写真は「人の中へ」2景
京都9条
_008京都

高知播磨や橋付近
_005高知2


五海ゆうじ写真通信100

「持続と可能」
なんてたった100回です。
そもそもこの写真通信をなんではじめたかというとですね、
引っ越したのがきっかけだった。
それまで住んでいた武蔵小杉から今の所へ来た。
今の所、鎌倉の近くといえある意味僻地ではあります。
それはそれでちょっと寂しいものもあった。
仕事関係、友人達に忘れてもらっては困る、
まぁ、そんな事もありとりあえずは身の回りの事でも知らせておかねば、
と始めたんですね、
いったい何を書いてきたのか、ブログを遡ってみた。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
五海ゆうじ写真通信4(2010/5/10)
「石原吉郎と写真」
早くも沖縄は梅雨入り。
ここのところつかの間の晴れでした。
皆様お元気でしょうか

Galleryにて「Flower Arrange1」を公開しました。
http://www.ab.auone-net.jp/~itsumi/gallery/gallrey_index.html
時間のある時にでもご覧いただければ嬉しく思います。

私の好きな詩の一つに
石原吉郎の「北鎌倉壽福寺」があります。
こんな詩です。

「おそらくは無感動に そのときまで見つづけたものが
 はじめて生者のものであると知ったとき 私は動転した。
 十一月二十五日。死もまた行為となる地点に
 私は不意に立ちもどった。
 正確には北鎌倉壽福寺の背面である。」

詩集「足利」の中の一編。
この詩と出会って30年私はようやく北鎌倉壽福寺に
行くことができた。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

写真は最近の花2景
ウンナンオガタマ
266ウンナンオガタマ2

葉にあたる光
_070神代2

2016/5/19

五海ゆうじ写真通信99

「写真と富」
右も左も解らない田舎者が写真を目指して写真学校に入った。
入る事は入った。
写真を学ぶのに、当たり前といえば当たり前なんですが、
カメラが必要だということすら知らなかった、
というよりは、そういうものは学校で用意してくれるものだ、
とですね勝手に考えていた。
ところが違った、用意しなければいけない、
慌てて丸井へ行って購入したんですね。
月賦を払っていけるのかいな。。。
そんな事を考えている私にですよ、
追い打ちをかけるように先生は言う、
「写真をやるなら家の財産を食い潰す覚悟でやれ」
財産もろくにない家で育った私はこう暗澹たる思いで
写真生活のスタートをきった。

そこでです前回の続きになります。
フォトアドバイスでは会員(誰でも只で入れます)に対して、
定期的にアンケートをとっているんですね。
以前、フォトアドバイスの商品についてのアンケートをとった。
その中には、商品を買っていただけない人達へ
「何故購入しないのか」の質問も入れてあった。
フォトアドバイスの会員には年配の方が多い、
その人達の答えをみてですね、
高齢化社会と言われている今の社会の
一つの姿が見えてきたように感じたんですね。
切実な想いがひしひしと伝わってきた。
「写真が好きで、少しでもいい写真を撮りたい、
だけど少ない年金では教材等とても買う事ができない」
なかには切々と写真に対する想いを書いてきた人達もいた。
それもかなりの人達がです。
そんななかで私達は写真の教育活動を続けているんですね。

肝に銘じておかなければ、

写真は沖縄2景
備瀬集落民家の庭
201604171117296a3.jpeg

那覇市拝み所がある空き地
20160417111727467.jpeg

2016/4/17







五海ゆうじ写真通信98

「写真と繋がり」
前回の続きになりますが、
そうです、私達のセミナー、ワークショップに参加される方は確かに
年配の方が多い。
年を重ねたからこそ撮れる写真。
その写真群はですね。
こう、溢れるように湧き上がってくる。
私が思うにはですよ、
若い時になんらかの理由があって
好きな事をあきらめざるをえなかった人、
やりたい事をじっとですね、心に秘めて来た人、
ひょっとしたらそのような想いを持った人達がですね、
写真を撮り始めたんではないかと、
世の中若い人達の写真を吸い上げる機構は、
なんしゃかんじゃ言ってもけっこう揃っている。
ところが年配の人達の写真はほとんど顧みられることはないんですね。
しかしです私達の前に素晴らしい写真は現に出てきている。
それをなんとか少しでも世の多くの人に見ていただけたらと、
まぁ、そんな事も考えながら私達(フォトアドバイス)はやっているんですね。
それとです、そういう人達の繋がりを持とうと
独自のSNSも立ち上げた。
そのSNSを通してお互い切磋琢磨、悪戦苦闘しながら、
写真を撮っている人達がいる。
「伊達に年とってんじゃねえぞ」
そんな声が聞こえてくるのですよ。
これは、私にとっても一つの発見でした。
あっっとと、、若い人達もいまーす。

写真は沖縄2景
沖縄備瀬集落
IMG_1033-2.jpg
沖縄那覇市公設市場付近
IMG_1176_2.jpg

2016/4/4
プロフィール

iikonodon

Author:iikonodon
広告写真を撮りながら、花と植物、街と人、の写真を撮る作業を続けています。
2011年より電子書籍の出版を開始しました。

※当ブログ内の写真、テキスト等の
無断借用、転載などは固くお断りいたします。

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