五海ゆうじ写真通信70

「アマチュア写真家と写真」

思い出を語るのは、少々重くなってきたんで、
今回は写真の事を。。。。

そうですね、フォトアドバイスというところで、
もう3年過ぎたでしょうか、
写真愛好家の方達を対象にしてセミナー、ワークショップ、
そしてそのDVDを作り販売を始めたは、
その作業も順調に展開し、
今年、横浜にですが教室を持つ事もできたんですね。
そういう中で、アマチュア写真家の方達の写真を見る機会も増えてきた。
その写真の中には、ビックリするほどよい写真もあるんですね、
花を撮る、のワークショップからもいい写真が出てきた。
そのままにしておくのは、もったいないと、
そんな写真を取り上げ、教室で講演したりしているんですが、
今週末土曜日(7月5日)、日曜日(7月6日)に
大阪と福岡で開催されるセミナー「写真概論番外編」でも
「アマチュア写真家の可能性と希望」、なんか硬いテーマではありますが、
として取り上げ、イタリアのアマチュア写真家ジャコメッリの写真とともに少し喋ります。
それにしても、アマチュア写真家の写真に対する熱心さには、
ほんと、感心する時があります。
私にとって、一つの発見でもありました。

あっと、そのセミナーでは齋藤陽道の写真についてもふれますよ。

写真はパリ2景
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2014/7/3

五海ゆうじ写真通信69

「吉沢元治とブッチ・モリス」

間章に連なる、あるいは繋がる、と言ってもよいかもしれませんが、
音楽家あるいは音楽についてもう少し書いていきます。

どうしても書かなければいけない音楽家がいるんですね、
吉沢元治、
今、埋もれつつある音楽家と言ってよいかもしれません。
70年前後、日本のジャズ界においても様々な事が起きていたんですね。
そして、その中で、それぞれが、それぞれに感じた事、考えた事を胸に秘め、
進み始めた。
吉沢さんはベースを手に持ちソロ活動を始めた。
そして、私は、そんな吉沢さんを撮り始めた。
そして、私は、吉沢さんを通して、間を含めた様々な音楽家達と親交を結ぶようになった。
私は吉沢さんのコンサート会場に入り浸り写真を撮り続けた。
演奏はほとんどがベースソロで、観客は、何時も数人だったが、
そんな会場に間はよく顔を出していた。
やがて間とは同世代ということもあり親しくなっていった。。。
1975年、間のプロデュースで、吉沢さんは2枚目のベースソロアルバム
「割れた鏡または化石の鳥」を出す。
(このアルバムは、この後、トリオの稲岡さんプロデュースで新しく録音され
「OUTFIT」としてリリースされた)
間は、この後、コンサートの企画、執筆、等、精力的に活動を展開し
1978年のデレクベィリー招聘へと突き進んでいく。
そして吉沢さんも、そんな間のやる事に参加していた。
間が人生最後の方で書いていた、断片の集積といってもよい文章について、
吉沢さんと話したものだ、
「ここのところの間の文章冴えているよな」

1978年12月12日、間の死。
告別式、出棺の時、
吉沢さんは棺に取りすがり号泣していた。

そして、この後、吉沢さんはソロ活動をしながら、
1993年、ブッチモリスのコンダクションへと突き進んでいく。

私にとって、間章の死は、阿部薫の死に否応なく繋がっていく。
そのあたりの事は阿部薫写真集に書いているんで、省きますが。。。
そうですね、その当時の私の状況を含め、あまりにも辛すぎた、という事もあったかもしれない、
区切りをつける意味もあり、
1980年、10年にわたり撮り続けた吉沢さんの写真をまとめ、
銀座ニコンサロンで写真展「即興7・0・8・0」を開催し、
一旦は音楽の世界から身を引く事にしたんですね。
そして10年後、
1991年、吉沢さんは3枚目のベースソロアルバム
「From The Faraway Nearby」出すんですね。
それをきっかけに、私は、再び音楽の世界に入る事になる、というかなってしまった。
そして1993年、吉沢さんはブッチ・モリスを招聘し、
日本で初のコンダクションを四谷のP3で開催した。
そしてそれを末端ではありますが手伝う事になった。
会場は超がつくほど満員で、
日本の即興音楽家を集めたコンダクションは、
未知の音楽との遭遇といおうか、とてつもなくおもしろかった。

写真はロンドン2景
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2014/6/2


五海ゆうじ写真通信68

「高柳昌行と武満徹」

間章の事を書き綴ってきたので、
この際私が知っている事、感じている事を
もう少し書いておこうと。。

間が愛した音楽家の連なり、
おそらく、間に最も影響を与えた音楽家は
高柳昌行ではないかと思っとるのですよ。
それは最後は個人同士で敵味方に分かれ、
激しい戦いを繰り広げたのでありますが、
しかしです、
一つの運動体が過激(根源的-つまりラジカルということでありますが)
であればあるほどそれは先鋭化し分裂していく。
そして内的にも外的にも血は流れる。

幻と言われていた1970年ステーション70での
高柳昌行と阿部薫の演奏(その場に間章は居た)
その音源がですね、廻り廻って私のところに持ち込まれ、
その後、紆余曲折を経てデスクユニオン(DIWレーベル)から
「集団投射」「漸次投射」として発売されたという経緯があるんですね、
同じ年(1970年)には、間章、高柳昌行、阿部薫、
3人によるコンサート「解体的交換」も開催されている。
そして文字通り3人の関係は解体していくのですが。
まぁ、このあたりの事は、
当人同士にしか解らないことでもありますので、
あまり書きませんが、

高柳昌行の事です。
高柳さんには何人かの弟子がいるんですね。
最晩年ノイズの爆音を手伝っていたのが大友良英ですが
もう一人重要な弟子の一人に今井和雄がいます。
今井和雄さんの事は写真通信59でも書いています。
そして今井さんは小杉武久にも師事していた。
つまり間に影響を与えた音楽家2人の音楽を継承し発展させ、
そして独自の世界を構築し音楽を展開しているのが今井さんなんですね。
そして今井さんの書棚には武満徹の著作集が並んでいた。
今井さんはこんな事も言っていた。
「新しいものと言えば現代音楽でしょうね」

私が勝手にに思っている事ですが、
高柳昌行、武満徹、
この二人は、日本が世界に誇ってもいい、
数少ない音楽家ではなかろうかと。

写真は最近の花2景
箱根仙石原
箱根仙石原

サクラバラ
サクラバラ

2014/5/6

五海ゆうじ写真通信67

「Georges BrassensとBille Holiday」

ジョルジュ・ブラッサンス、
私が好きなシャンソン歌手の一人であります。
初めて聴いたのが、もう随分前15年あたり、
浦邊雅祥のコンサートでした。
彼の演奏が始まる前にかかっていたんですね。
それで、浦邊って何者じゃい、
まぁ、多くの方がそう思われるでしょう。。。
こんな演奏をしています。
http://www.youtube.com/watch?v=5j9KzcBQ_IE
私とのコラボレーション(地の記憶)もやっています。
(この「地の記憶」、DVDで再発売できないものか、
只今奔走しておるんですが、なかなか。。。)
なんだ、これは音楽か、。。。
そう言われば、何といいましょうか。。
そうですね、何回か彼にインタビューをしたことがあります。
その中で彼は繰り返し言っていますが、
「俺の演奏は歌だ」と、
そうなんですね、彼の音色の中にはまぎれもなく歌があります。
まぁ、私はそう感ずる、ということかもしれませんが。
そして浦邊はジョルジュ・ブラッサンス熱烈なファンであります。
なんせ、フランスにある墓にお参りまでしてきているんですね。

それで間章との関係でありますが、
間が愛した音楽家の一人に小杉武久がいます。
小杉さんは川仁宏と友人だった。
そして川仁さんの告別式では、
小杉さんが演奏したバイオリンのテープが流れていた。
そして川仁宏の「フラッシュバック」は浦邊雅祥が編集している。

そういう事なんです。

川仁さんの事は写真通信61で書いています。
http://itsumiyuji.blog65.fc2.com/page-1.html

で、ビリー・ホリディーは何なの、
それはですね、阿部薫の写真集「OUT TO LUNCH」は
「俺はドルフィーを父に、ビリー・ホリディーを母として生まれた」
から始まるんですね。
つまり阿部の音色の中にもまぎれもなく歌がある。
そして、阿部は間が愛した音楽家の一人だった。

写真はフェレンツェ2景
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2014/4/19

五海ゆうじ写真通信66

「浦邊雅祥とAlbertAyler」

高円寺「円盤」での
間章読書会特別編
「間章とつながりのあった日本のミュージシャンたち」
そこで、間が愛した音楽家達とその系譜、
そして今の音楽家に脈々と連なってきているもの、
まぁ、そんな事を話したわけです。

間は、「モルグ社」をつくり「morgue」という雑誌を発行し
そこで文を含めいろいろ発表していくんですが、
1978年12月12日急逝する。
その日の事を吉沢元治の「distance」を交え、
話したりしました。
そもそも何で、間はモルグという名を使い始めたか、
「死体置き場」ですよ。。。
そこにはアルバート・アイラーが関わってきているんですね、
中上健次が「破壊せよ、とアイラーは言った」と言ったごとく、
アイラーの音楽は、ある意味ではありますが、
衝撃的といいましょうか、
まぁ、しかしです、私にはすんなり、自然に聴けた音楽でありますが。
そんな感じでジャズ、フリージャズとも言われていた音楽の世界に
登場したんですね。
そして。。。。
アルバート・アイラーはニューヨークのハドソン川に身を投げる、
あるいは放り投げられたか。
その死体は誰にも気づかれる事もなく、
死体置き場に暫く放置されていた。
間はそれに誘発され、モルグという名を使い始めたんですね。
(モルグ社は今でも須藤さんによって引き継がれ存在しています)

ここで浦邊雅祥です。
アイラーとも間とも全くといっていいほど関係がない、
浦邊の音楽、
しかしですね、やはり、間が愛した音楽と、かすかではありますが、
連なっている。
これは次回で。

今回「円盤」に来ていただいた方に心より感謝します。

写真は食べ物2景

鶏もも肉照り焼き
鶏モモ肉の照り焼き

カボチャ
かぼちゃ_002

2014/4/9






プロフィール

iikonodon

Author:iikonodon
広告写真を撮りながら、花と植物、街と人、の写真を撮る作業を続けています。
2011年より電子書籍の出版を開始しました。

※当ブログ内の写真、テキスト等の
無断借用、転載などは固くお断りいたします。

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